熱函(NETSUBAKO)

Let her insult me. Let her spit on me. She has an immortal soul, and I must do all that is in my power to save it.

Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~備忘録

自分用備忘録。円盤が出た時に「終演翌日はこんなこと考えてたんだ」とリファレンスに使う用。

 

座席は下手側218扉1列目。アリーナ最前よりもステージの縦距離は近い位置で、SSAに行ったことないながらも「これはアリーナより良い席なのでは…?」と思っていたら案の定そうだった。

 

HOMEツアーは実際に参加する前にセットリストを見ていたりしたので事前準備ができていたけれど、SSAは一発勝負。最初のタチアガレのイントロでは小賢しくも「3時間以上になるだろう公演で最初から全力コールでいいのか…?」となる。したけど。

続く16歳のアガペーで完全に臨戦態勢が整う。「まっすぐ」ペンライトを突き上げ「キミの」ステージにめがけ「名前を呼ぼう」ななみん!!!!!!!!!!!!!。うつ病の治療に使えると思う。

One In A Billion。ステージ演出には気が付かなかったけどMay'nちゃんの場所にスポットライトが当たっていたそうで。「ハートライン」がHOMEツアーでWUG仕様にチューンナップされたので、May'nちゃんリスペクトにこの選曲で正解。

素顔でKISS MEから恋で?愛で?暴君です!。暴力的な構成。「素顔になれたらキュンと素敵なの」の振り付けが田中美海さんがアップになるのがあーいけませんエッチすぎますってことに気付いてからそのタイミングは田中美海さんを見るようにしていて、今回はビジョンを見ましたが下腹部までは映りませんでしたね……。席がトロッコ出発地点とど被りしているのでトロッコ準備されるとステージが見えないのでこういう対応になったが、下腹部……。

キャラソンサビメドレーでトロッコ出場。何度かトロッコ演出あったけど山下七海さんは大体近づいた時背中しか見えないというタイミングで仙台初日夜公演の悪夢が頭をよぎった。1列目はそもそも視線が合わないという話を聞いていたので別にそこまで木にはしていないけれど、永野愛理さんは1列目に視線をくれて笑ってくれたのであいちゃんの推しになります。ワグ・ズーズーあたりはわちゃわちゃしすぎて理解を放棄して盛り上がるしか手がなかった。

これは公演全体を通して言えるけど、SSAでもワグナーのペンライト切り替えが揃ってて「お前らどこにおったんや……」ってなった。僕らのフロンティアで顕著に感じて、「憧れの方へ」で水色から黄色に変えるタイミングと変えるワグナーの比率が完璧に近かったと思う。

極上スマイル⇒雫の冠少女交響曲。多分極スマが区切りで、雫の冠からが本編終盤の入り口だったような気がする。ライブアクトについての記述したいんだけどもうこの辺りからなんも覚えてない。ただただまぶしかった。情報量が多すぎる。極上スマイルで2度も海が広くなったのもそのせい。みゅーちゃんが広いって言ったら広いんだよ。

さようならのパレードはライブ初見だったんだけど、振り付けにすごく見覚えがあるものが多くて(それがどの曲かは分からないんだけど、HOMEツアーで絶対この動きを見た、というものがあった、7 Girls Warだったのだろうか)、未完成という意味がすごく分かった気がする。CD音源は、愛知に、仙台に、SSAにいた人が思い出すためのものじゃないかと思った。

アンコール。SHIFT衣装で出てきてビビる。アンコールでSHIFT!?となった。SHIFT楽しい曲だもんね……。ステージからの角度の問題で田中美海の衣装袖からブルーグリーンの生地が見えて「ライブTシャツじゃん!!」ってなる。案の定ライブTシャツをアレンジした衣装が地下鉄ラビリンスで出てくる。三度トロッコ出場。part3の地下鉄ラビリンスが今回の演出で結実を迎えた。

ライブで盛り上がっても頭はクールなので、この時点で絶対にやるはずの「TUNAGO」と「Polaris」が残っており、ダブルアンコPolarisで〆か、という見方はしていた。TUNAGO、推しと同じタイミングで手を伸ばすのもこれが最後。

7人の手紙、みゅーちゃんの手紙でボロボロ泣いてしまった。基本的に心が固いので涙ぐんでも流れたりしないんだけどマジで何が琴線に引っかかったのか今も分かってない。推し(※ここでは山下七海のことを指す)の手紙より泣いてしまったもんな。みゅーちゃんいい子だよね。

Polaris、もうずっと会場を見ていたような気がする。言葉が見当たらない。

トリプルアンコール、タチアガレ。解散の日、本当に最後の歌で「明日こと考えない!」という吉岡茉祐さんだった。実はタチアガレ、暗い曲だと思ってたんだけど、しょっぱなとラストでまったく違う曲になっていた。キラキラとした希望しか見えなかった。

まるで解散するユニットのライブには思えなかったし、楽しくて楽しすぎて、悲しいという感情が未だにわいてこない。喪失感のない解散ライブは自分の中で新機軸すぎて、優勝のみならず終わりという概念が更新されてしまった。最高の時間だった。

 

お見送り会。後半はベルトコンベアでがっちり肩をスタッフに掴まれたり、あるいは推しに声かけしたという話も聞いたものの、割と序盤の方でみんな声かけていいのか分からずウォークスルーで手を振る感じだった。まゆしぃとかには手を振ったけど、左手に紫のリストバンドをつけたままだったことを思い出し、ななみんにリストバンドを見せて両手でガッツポーズを取ったら笑顔で返してくれた。ななみんの推しになります。

 

山下七海がどこかのソロパートで声が裏返っていたんだけどどこだか忘れた。何の曲だかご存知の方はタレこみください。

追記:SHIFTの「簡単になんてつかめないよ」のところということでした。投稿して5分で追記

 
 

 

山下七海さんについての怪文書

前略 まるでまとまりませんでした。文脈のない怪文書です。

 

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅲ KADODE ~ 宮城・仙台サンプラザホール公演に参加しました。4公演のうち、参加したのは23日昼・夜、24日昼。

夏から続いたツアーの千秋楽ということで、24日夜公演の優勝、そしてWUGというユニットのことについては多くの方が書かれると思いますが、わたしは山下七海さんの話をします。させてください。

 

わたしは、自分のことはWUGの箱推しで、山下七海さんを推しているわけではないと思っていました。そもそも「推し」の概念にピンときていなかったですし、7人のメンバー全員が、楽曲が、彼女たちをプロデュースし、あるいは支えるスタッフが、彼女たちを応援するファンが、そういった総体が好ましいと思っていました。実際、そうでなければ今までほとんど声優のライブステージを観に行ったことのない自分が、HOME part1大宮公演の後即日でわぐらぶに入会するわけないんです。

 

じゃあなんで全身紫にそろえて基本的にペンライトの色は紫、まっすぐ君の名前を呼ぶのはななみんだったかと言えば、綺麗な笑顔と動きのしなやかさに惹かれたから、しかありません。翻って言うと、MCでの発言や本人の人格に、そこまで興味を持っていたわけではありません。みんな好き、でも応援する際に暫定的な「推し」は作りたい、じゃあ一番目に付く山下七海さんにしよう、そういう理屈でした。

 

ただ、この七か月間、少しずつ、ななみんは面白い子なのではないか、と思うようになりました。自他ともに認めるマイペースというキャラクターとは裏腹に、周りへの気配りはしっかりしているし、ややもすると「あざとい」と言われかねない自身の振る舞いを理解し、上手に出し入れする頭のよさもある。冬頃には、ラジオや動画放送でのななみんのトークに注目するようになりました。

 

山下七海さんの故郷、徳島での公演の際、彼女は企画ステージで「寝る」という快挙を成し遂げました。あの時、わたしは彼女がWUGとワグナーに全幅の信頼を置いているのだな、と掛け値なしに確信することができました。自分のキャラクターソングを他のメンバーに歌って踊ってもらい、自分は寝る。それが正解なのだと思わなければこの発想は成り立たないからです。

 

白状します。わたしは山下七海さんはWUGの中でも優遇されていると思っていました。楽曲でも山下七海さんのソロパートは他のメンバーに比べ(まゆしぃ・よっぴーを除く)有意に長いような気がして、全員同列、けれど人気では一段上、そういう風潮を追認するような売り出し方が一時期あったのではないかと(勝手に)(根拠なく)信じ込んでいたのです。

 

徳島公演を終えて、山下七海さんへの見方が変わりました。彼女にはセンター曲がないし、強烈な自己主張もない。自分より他人をとことん優先する人なのではないか、ということ。嫌味な言い方をすれば、功名心を感じられない。優等生的なライブパフォーマンスも、WUGの中で月見草に徹しているのではないか、ということ。

 

 

その仮説の、勝手な答え合わせが、仙台公演2日目昼のBeyond the Bottomでした。

未来の永遠さに僕たちは苦しむ 幸せに裏切られた君を抱きしめる

 山下七海さんのソロパート、これまでわたしが見た全公演のどのななみんとも違うアクトがそこにありました。悲痛を想いで抑え込んで歌うような表情と、強烈な感情で揺れる歌声だと、わたしには思えました。こういう歌が歌えるのに、そうしてこなかった。他の6人を信頼して任せていた。けれど、ここにきて、自分の色を隠さずにぶつけてきた。そこに、山下七海さんのエゴの在り方を垣間見たのです。

 

優勝を更新するWUGですが、公演を重ねるごとにライブアクトに鬼気迫るものを感じるようになりました。仙台2日目昼公演のMCで田中美海さんが「自分はCD音源のようにしか歌えないけれど、今日は自分なりにやってみた」(意訳)という発言をしていましたが、まったく同じことを山下七海さんもやった、とうとう牙をむいたと思いました。

 

だからこそ、WUGの中でマイペース担当としてのほほんとしている山下七海さんが、本当に輝いて見えるようになりました。素晴らしきバランス感覚。心のしなやかさ。ツアーの終わりでようやく「俺は山下七海さんが好きなんだな」と分かることができました。WUGの中で輝く山下七海さんは見納めになりますが、これからはそんな彼女が1人でどういった輝きを見せるのか。追いかけていきたいです。大好きです。

 

追伸:仙台夜立ち見で通路側だったんですけど、ななみん走ってきたのに視線切らせてて最大のチャンスで見逃すという痛恨事をしでかしたんですけど、仙台2日目昼で「当日券の人!」MCのあたりで2階を見たななみんと目があってうなずいて手を振りあったのであれは絶対ななみんからのレス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

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優勝

 

鳴門・徳島旅行記録 ちょっとだけWake Up,Girls!の話

2月9日(土)

金曜日が仕事の打ち上げで、高い会費なのにビール1杯熱燗2合で済ます。日付が変わる前に帰宅するも、荷造りに時間がかかり就寝は午前1時。いつまでもあると思うな替えの靴下。

羽田へ向かう。朝から雪の予報のはずが、午前6時で家々の屋根ははっきり白くなっていて、しかもJALは早々に午後の発着便欠航を決めており、自分の乗る飛行機は大丈夫かと不安になる。

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羽田空港から出発するのにここのところバス利用が多い

結局乗れはしたものの、出発が40分程度遅れ、徳島空港着が11時。後方窓側に席を取っていたので出遅れる。友人を待たせてしまい大変申し訳なかった。レンタカーを取っていた先見性のあるワグナーさんの車に便乗させてもらう。後でツイッター交換しようと言われたんですけどタイミングがなかった……。そして同乗したワグナーで以前お会いした方なのに顔をすっかり忘れていた。えらいすんません…。

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うちっぱなし建築とは根本的に違う感じ

撫養川沿いに建つ鳴門文化会館はコンクリートのよさが前面に打ち出された建物で、汚れや劣化が味になるので公共物はこういう建築を積極的に取り入れていけ。ただ、傍らに設置されたすだちくんの劣化はなんとも言えなかった。

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完全にこれからの展開の伏線だったパターン

昼の部は前側上手、スピーカーでじゃっかん見切れるようなポジション。ただ、前列は1つきりで、わたしは身長が低く、前方の人が被って見えないことが多いのでむしろよい席だった。

昼の部が開演。とてもよかった。「オオカミとピアノ」でうおー!ってなって、すだちくんがでてきてうおー!!ってなった。すだちくんが赤いマントを着けていることがここに繋がるとは、という驚きですよね。自身のキャラクターソングにHOME色を盛り込むにあたってこれほど雄弁なやり方もないのではないか。本人は阿波踊りを封印していたのもすごい。夜の部の7 Senses青山吉能さんが踊り出して永野愛理さん、後で高木美佑さんも踊っていたが。

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いのたにの肉入りラーメン。オプションの卵は生卵なので留意されたし。

終演後は昼食のために会場に近くにあるラーメン店「いのたに」へダッシュ。徳島ラーメンは非常に好みにあった。チャーシューがそんなに好きじゃないのでバラ肉が入っているのもよい。食べ終えた後、角を曲がってもなお続く行列におったまげる。走って正解だった。

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恐らくサツマイモ畑。

その後、茶をしばくためにカフェ「Bubo」へ移動。道中、砂地の畑があってなんの畑なんだろうと思った。調べたところ、おそらくはサツマイモ畑。鳴門金時を作っているということなんだろう。

お店ではベイクドチーズケーキとヘーゼルナッツラテをいただいた。おいしゅうございました。

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Buboのベイクドチーズケーキとヘーゼルナッツラテ

この時ぼんやり、明日も徳島公演があればいいのにと思っていた。

夜の部開演前にフラスタの協賛金を支払う。まだどのフラスタが協賛したものか分かっていなかったので確認する。山下七海さんと久海菜々美さんが一緒に描かれたイラストとそれを取り囲む紫の花々のスタンドを見て、いいフラスタやこれは、となる。カレーガムさん、ありがとうございました。

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素晴らしいフラスタ



夜の部が開演。今度は中央通路から3列目、ステージを見渡せる位置。とてもよかった。

企画コーナーの話をすると、山下七海さんの、自分自身と、WUGそのものへの強い信頼が感じられてよかった。昼と違い、夜は山下七海さんが「オオカミとピアノ」の途中で階段に横たわり眠り込むという演出となった。この後、かわるがわる他のメンバーが登場して、ななみんのキャラソンを歌い継ぐ。地元・徳島公演で自分の持ち分を他者に委ねられる、それで大丈夫なのだ、という判断。すごいな、と思う反面、末恐ろしいな、とも思った。
「ここにしかない徳島」を穏やかに歌い上げる山下七海さん、幕間の山下七海さんの振り返り映像、山下七海さんへのメンバーからの手紙、そして「HIGAWARI PRINCESS」。声が出なくなってしまって、立ち尽くしてステージを観ていたと思う。ちょっとだけ嘘、青山さんからの手紙に関しては「もう少し こう 何というか手心というか…」となった。

夜の部は海そしてシャッター通りで(精神的な)一区切りがついた後、「Beyond the Bottom」からの流れが圧倒的。ワグナーブレードを振っている場合ではなく、食い入るように目の前の光景を観ていた。青山吉能さんの歌への情感の乗せ方が鬼気迫るもので、ほかのメンバーもそれにあてられたかのようにパワフルなパフォーマンスを見せてくれた。
個人的にとてもうれしかったのは「Polaris」で、連番していたワグナーさんに肩をスクラムに誘ってもらって一緒になって声を出せた。「地下鉄ラビリンス」でも通路を走る山下七海さんの位置を教えてくれたので感謝しかない。山下七海さんは残念ながら離れた場所に行ってしまったが、すぐ近くに吉岡茉祐さんが立ち、控えめに言えば挑戦的な目、ありていに言えば目をむいたイキリ面で「もっと声出せるだろ!?」とハンドジェスチャーをしていたのが非常に印象的だった。
アンコールラスト、「極上スマイル」で熱狂する中銀テープが降りてくる。基本的に取りにいかないのだけれど、たまたま一本が左手にひっかかった。終演後見たら、紫色のテープだった。今回が自身にとってPart3初参戦だったので、ホテルに帰って書かれたメッセージを読んだ。田中美海さんの「後悔のないくらい叫んだかい??」の言葉が刺さった。叫べるだけは叫んだけれど、思う存分叫ぶにはいっぱいいっぱいになってしまった。

終演後、徳島駅に移動。タクシーの運転手さんはきさくないい方だったが、運転もきさくすぎて、若干の怖さがあった。四国の交通事故率が高い理由の一端を見た。

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日本酒利き酒セット、人の話を聞かないのでどれがどれだか分からないまま飲んだ

打ち上げ時、青山吉能さんも絶賛のフィッシュカツが出てきたので食べるが、ほかのワグナーさんがいった「ビッグカツの味」が的確な表現だった。そして、同席したワグナーの中で以前お会いした方の顔をすっかり忘れている。えらいすんません…(2回目)。

前日の睡眠時間もギリギリだったので、体調を考え打ち上げ一次会で切り上げさっさと寝る。徳島公演が終わったということがその時はまだよく分かっていなかった。

2月10日(日)

この日は完全に観光。10時ギリギリにチェックアウトするも、なんのリサーチもなく飛行機の時間までどう動けばいいか不安さえあった。ひとまず徳島駅に向かおうとするが、大判焼きの店の前に数人の列を見かける。朝はうどんでも、と思っていたが、腰を据えて食べるほどの腹具合ではなかったし、小倉トーストをモーニングに食べる国もあると思って1つ買う。70円。安い。店のおばちゃんは接客のせの字もなかったが、大判焼きはあんこがほどよい甘さで、軽く食べられた。

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有名店らしい。

徳島駅近くにあるデビルマンの交差点に足を運んだ後、ひとまず鳴門方面に移動するべき汽車に乗る。途中、教会前駅が天理教の教会前でおったまげる。

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ななよぴ、なんだよな。

鳴門駅着。いよいよノープラン。ひとまず渦潮観光かと思いバス停に向かうが、待っていたのは競艇場行きの送迎バス。近くにいたおいちゃんに「鳴門公園行のバスは時刻表こっちや」と声をかけられ、「ボートレースに行きます」とうっかり答えてしまい、後に引けなくなる。「兄ちゃん若いのに日曜からボートか、ガハハ」と笑われる。

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チケット代や交通費を稼ごう!

ボートレース鳴門着。基本的にどこにいってもワグナーを見かけるという状況だったが、さすがに競艇に来たワグナーはわたしだけだったようだ。まあ、普通眉山登ったりご当地グルメ食べ歩きとかしますよね……。ちなみに舟券はひっとつも当たらず、非常に険しい顔になりながら鳴門公園行のバスに乗る。JRAに切り替えたらよもやのアバオバクーの複勝が27倍もつくとんでもない決着で、競艇の負け分がチャラになってお釣りが出た。

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ボートレースでチケット代を稼ごうなんて甘いよ。

鳴門の渦潮は、渦潮そのものより海峡の雰囲気そのものがよくて、お茶園展望台からの眺望に思わず叫び声が出てしまった。巨大な大鳴門橋がかかる先に淡路島がある、スケールがはっきりしていてよいです。渦の道で見た渦潮も、色が奥村土牛の「鳴門」そのままだった。

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お茶園展望台から鳴門海峡を臨む。

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うずしお




大塚国際美術館はどこかで「米津くん効果ですごく混んでる」とおばちゃんが話しているのを聞いたのでスルーしました。
鳴門駅にバスで戻るが、降りたバスがそのまま徳島空港に向かうことを後から知る。さっとうどんでも入れてバスを待とうかと思ったら軒並み閉店。16時なのに。どうしようと思ったら駅前に足湯があった。渦の道はふきっさらしで手が真っ赤になるくらい寒かったので、足元を温めるだけでもありがたかった。ちなみに隣にいた客3人組はワグナーでした。これに限らずこの時間帯の鳴門駅前はどうにも時間を持て余したらしいワグナーの姿が目立った。

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足湯の建物。お湯も撮ればよかった



一服してバス停に行くも、定刻から10分経ってもバスが来ない。前に待っている人たちも空港に行くと思ったので声をかけたら2人ともワグナーだった。タクシーに乗り合わせて空港に向かう。紫・水色・水紫とバランスのいい構成。いろいろなワグナーがいるなと思った。ちなみに1人は横浜ファンで笑ってしまった。徳島まで来てまさか推し球団が被るとは。

もう1人とは別れ際に「WUGちゃんたちには声優としてのこれからがある」という話をして、それは本当に思っていたことであったので、会えてよかったなと思った。

 

 帰りの飛行機の中で、「オオカミとピアノ」はこれでライブは聞き納めだな、と思って、とうとう泣いてしまった。年を取ると脳の老化で涙腺が緩くなるそうです。

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つまみは先に買っておくべきだった。仙台ではこの反省を生かしたい

 

総括2018

原政権が何度目かの復活を遂げたので、2018年の総括をする。

 

1月

前月(2017年の12月)は鳥取行があったので記憶に残っているけれど、一転新年はほとんど記憶にない。
仕事はスポーツ選手、声優、無機物などインタビューものを重点に行っており、えてしてこういった仕事が重なる場合余暇が食いつぶされているので特段何かイベントがあったわけではなさそう。
手帳には「上坂すみれ活動 略してウエカツ」と大書されており、生活再建への期待がうかがえる。結論から言うと完全に瓦解した。

2月

2018年の前半はthe MADRAS*1のライブをよく観に行っていたと思う。西早稲田のBLAH BLAH BLAH*2で橋本孝志と鈴木淳の共演を観た。
手帳には「浜中俊騎手になんらかの期待をよせてはならない」と書いており、今振り返ればこれは間違いだらけの2018年競馬において数少ない真理だった。のちに田辺裕信がこれに加わる。
また、一過性のお絵かきブームが到来しており、引き写しの画を数枚描いて鎮静化した様子がうかがえる。

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3月

記憶にない。手帳の3月ページがほとんどリズと青い鳥の感想になっているので、5月になるまで空白だった⇒書く余力か気力がない状態だった、というのは読み取れる。
確か、ツイッター文芸者の一部で本格的ボルダリングブームがあり、そのため自分の中でも機運が高まっていたものの二週立て続けに首を寝違えるという体調不良もありデビューできず。他にも運転免許更新(鴻巣行き)、初の確定申告など生活面でやることが目白押しだった。

4月

神宮球場でフォロワーと野球を観る。DeNA先発バリオス、東京先発石川で、バリオスが早期に打ち込まれた割に勝った試合。
それ以外は記憶にない。

5月

職場がオフィス間移転を行い、新オフィスの入居するビルが構造上誰かが近くを歩くだけで床が揺れ、かなり体調が悪かった。
映画『リズと青い鳥』公開。結局10回観た。また、神宮球場でフォロワーと野球を観る。東京先発ブキャナンが完封。
この時期より体調不良が恒常化し、職場に定時出退勤することが困難になる。

6月

西武球場でフォロワー夫妻と野球を観る。先発は忘れる。
記憶がない。頑張ろうと思って頑張れなかったんだと思う。
体重が増加の一途をたどり、これ以降ダイエットを意識するも実効には移さず、ぶくぶくに太る。

7月

プーシキン美術館展」閉会前日に行ったものの、あまりの人の多さに辟易。
この時期から手帳とは別のノートに日記を書き始めたものの、内容がものすごく暗い。手帳の筆致がやたら丁寧だったので、
精神がずんどこになっていた感じはある。動物のお医者さんを一気読みしており、ここから古い漫画をKindleでまとめ買いするという散財が本格化しお財布事情はさらに悪化する。
Twitter的にはフォロワーの影響で空前のホワイトボードブーム到来。部屋にはあるが使いこなせていない。
また、煙草の銘柄をパッケージデザインに惹かれキャメルメンソールに。ここから年末までメインのタバコとしてブレていないので珍しいことだった。

8月

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅰ Start It Up, ~ 埼玉(昼の部)、大宮ソニックシティ。友人にチケットを譲ってもらい、行く。今年のターニングポイント。終演後、物販でペンライトを購入し、帰宅後、ファンクラブに入会する。この時は「後いくつもライブに行けるわけでもないのについ勢いで」と思っていたものの、結果的に大正解の判断となる。
また、母方の伯父がいずこからか猫を拾ってきて、我が家に預けていった。子猫であり、衰弱しており、またカビも生えていたのだけれど、気付けばすっかり平気な顔をして二階の主となる。噛み癖が治らない。あくまでうちで預かっている猫というスタンスで接していきたい。
この時期、左の肩甲骨を中心にしびれるような感覚が以降二か月ほど持続し、ストレスがかかる。にもかかわらず初ボルダリングに挑戦していたりする。整形外科にかかろうか迷っているうちに症状は消失した。結局なんだったのか。

9月

空前のシャニマスブーム到来も、二週間ほどで退潮。忙しくてソーシャルゲームをやっている場合ではなかった。
映画『フリクリ オルタナ』公開。個人的には好きだった。結局『プログレ』は観ないまま終わった。
あまり記憶にない。この一年、じょじょに記憶や読解力の部分で衰えが目立つようになり、うつ病の前駆症状ではないかと半ば本気で疑っていた(いる)。

10月

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART Ⅱ FANTASIA ~ 大阪(2日目昼・夜)岸和田市立浪切ホール 大ホール。声優ユニットのライブを観に宿を取って空路で向かうことになると誰が思ったか。ここで完全にドハマりし、見ず知らずのワグナーと喫煙所で談笑し相互フォローという普段の人見知りぶりからすればあり得ないハイテンションとなる。
三連休だったこともあり、翌日は夕方の新幹線の時間まで響け!ユーフォニアム聖地巡礼京アニショップ⇒出町柳商店街+鴨川デルタ(たまこまーけっと聖地巡礼)を行う。
合わせてこの時、9年前にオフ会で訪れた街に立ち寄り、自分の青春の輪郭をなぞってきた(激エモ)。
別日、高橋徹也の「夜に生きるもの」「ベッドタウン」再現ライブもあり、2018年の中でもっともイベントの充実した月となる。

11月

文学フリマ用の原稿を落とす。

12月

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART Ⅱ FANTASIA ~ 岩手(昼・夜)岩手県民会館 大ホール。
Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART Ⅱ FANTASIA ~ 神奈川(昼)横須賀芸術劇場
WUGのバラエティ面にも急速にハマり、動画配信などのアーカイブを観漁る。

 

総括

一年を通して高橋徹也ライブには通いつつ、1~3月はthe MADRAS、8月以降はWUGと活動の比重が一気に動いた年になった。WUG現場を追うのにコストがかかるので、下北沢界隈からは若干足が遠のいているものの、WUGは3月を持って解散となるので4月以降はまたライブハウスがホームとなりそう。

野球は、現地観戦には行きつつも何故かベイスターズ戦より他球団同士の試合を観ることが多かった。また、ここ3年ほど継続していたハマスタ現地観戦ができず(オープン戦は観に行ったかもしれないけれど記憶にない)。

勤務時間の問題で家で野球を観るタイミングも少なく、石川雄洋の出場機会もさらに減ったことで横浜ファンとしての情熱はやや冷めてしまった。

ただ、これはチケットが取れないというのがそれなりに影響しているので、本年はもう少し計算して日程を組めば大丈夫な気もしている。

仕事が本当にダメで、頭打ちの一年だった。まだ3月ごろまでは頑張っていた(むしろ今思えば労力に数字がついてきていた方)だったのだが、だんだんと身が入らなくなっていった。年の後半は遅れ気味の作業を終わらせるうちに次の作業が遅れるという自転車操業と化していたので、本年は仕切り直しと行きたい。手の抜き方はばっちり覚えたので、仕事が生活に食い込むことがないよう低コスト運用を心掛けたい。

お金。競馬でボロボロになる。Twitterのオタクの中で競馬がブームになってしまった。とうとう日曜第1Rから最終Rまでダラダラ馬券を買うみたいなやり方をしはじめてしまったので、何かしら自分の中で縛りを設けたい。デムーロルメール単勝倍率3倍以上の馬を買う、とか。

そして一番懸念なのが心身の体調不良で、体はぶくぶく太って肝臓・腎臓・膵臓などに不安があり、心、というか頭は思考能力の低下から目を背けることができなくなっている。

2018年初から「リハビリ」というワードは頭の中にあったのだけれど、2019年は「人間らしく生きる権利の回復」や「自分らしく生きること」についてもっと向き合っていかなければならない。

来月、29歳になります。20代最後の年でダメだったらもう一生ダメなんだと思います。

*1:チューインガムウィークエンドの橋本孝志がボーカルを務め、ロックバンドDotDashsを母体にして生まれたバンド

*2:チューインガムウィークエンドの鈴木淳がオーナーの店

Wake Up,Girls!岩手公演の奥野香耶さんについて

本記事は『Wake Up, Girls! Advent Calendar 2018』19日目の記事となります。昨日のご担当は(@misopii_tommy)さんです。明日のご担当は(@housun_)さんです。

 

adventar.org

12月9日(日)のWake Up,Girls!岩手公演に行った。

わたしは父方の田舎*1が二本松にあるので実質東北出身みたいなところがあるのだけれど、その一方で二本松より北の地を踏んだことはなかった。寒いのは苦手だし*2、こういうことがなかったら岩手には来なかったろうと思う。実は会場で見知らぬオタクも同じことを言っているのを聞いて「なんて失礼な!」と思ったけど、二本松にゆかりがない人間が二本松に行かないよな、という理論で納得をした。二本松には安達ケ原の鬼婆伝説があります。

WUGのライブは、2017年のにぎわい東北 presents Wake Up, Girls!in レイクタウン ミニライブ&お渡し会にはじまり、次がHOME part1の大宮公演、part2大阪、岩手。最初に生のWUGちゃんを見て、その場でどっぷりはまったわけではない。楽曲は知っていたしアニメも見ていたけれど、ライブを観に行く層では今年まで決してなかった。

解散が決まって、友人に誘われて、会場がたまたま一時間圏内で。そういったきっかけがなかったら、いい曲を歌う人たちがいなくなって寂しい、ぐらいの気持ちで収まっていたと思う。

わたしが、ワグナー、という範疇にあるのかには疑問符がつく。ペンライトを持ってコールをする行為が楽しいだけではないか、あるいはWUGの規模感がちょうどよかったからでWUGでなくてもよかったのはないか、という疑いが常に自分の中にある。

もちろん、素晴らしいアクトに対する喜びはある。でもそれは「ああ、いいもんみたな」という深度だ*3

それは、奥野香耶さんが盛岡出身だということを失念していたことからも分かる。永野愛理さんが仙台の人だというのは主に東北楽天ゴールデンイーグルスのおかげで覚えていられるのだけれど、奥野さんと盛岡を結びつける要素が、新規参入の人間からすると見当たらないというのが正直なところだった。

各会場で、地域ゆかりのメンバーによるパートがあり、大阪では吉岡茉祐さんによるコントが繰り広げられた。岩手では奥野さんが担当になるということには途中で気づき、彼女の人となりをよくは分かっていない人間からすると、(きわめて失礼な話であるが)鬼が出るか蛇が出るか、ぐらいの気持ちでいた。

宮沢賢治雨ニモマケズ」の引用からはじまり、わたしは泣きぬれて蟹とたわむれた。くそう、奥野さんも宮沢賢治か。啄木はダメ人間だから、好印象の賢治を花巻から担いでくるのか、と。

「ソウイウモノニ、ワタシハ ナル」

その切実な決意表明は、わたしのひねくれた性根をすとんと座席に収めてしまった。

暗転の中、雛壇が用意され、実はその時点でなんとなく何がはじまるのか見当がついていた。上手下手から続々と人が現れて、わたしは再度身構えた。

合唱が始まる。曲名が奥野さんの口から告げられる。『イーハトーヴの風』。

奥野さんの歌声が際立つことはなかった。だからこそ、その演奏で涙が流れた。ステージの中央に立っているのがたまたまそういう配置だったのだというかのように、そこには合唱だけがあった。

そして『言の葉 青葉』。混声4部の合唱用編曲が加えられたそれは、思い入れが深い人ほど突き刺さったのだろう。隣の方もすすり泣いていた。

昼の部が終わってから、岩手公演限定パートのことについて、ジャージャー麺をすすりながら考えていた。これは当然、夜も同じ構成、同じ曲目で行くだろう。選曲的にこれしかないだろう、また、もう一曲を準備するのも難しいだろう、と。

夜の部で歌われたのは『旅立ちの時』だった。決して声には出さず、心の中で低音パートを歌いながらステージを見ていた。

正直に言って、WUGやメンバーの持ち歌ではない合唱曲を提示されて、即座にきちんと受け止めるのは難しかったろうと思う。言ってしまえば合唱はマスではないのだ。伝える力は絶対にあるけれど、問答無用というわけにはいかない。

それでも、演奏と奥野さんのメッセージ、奥野さんに寄り添うように立つWUGのみんな、そして『がんばってねとかんたんに言えないよ』と一緒になって歌う観客、終わってしまえば、そう、本当にこのコンサートが大団円を迎えたのではないかと錯覚するぐらいの一体感が会場を包んだ。昼夜合わせて3曲のパートで、奥野さんが自分の思いを余すことなく伝えようとする構成がそこにあった。

 吉岡さんが「かやは、大阪よりずっと前からこのステージの準備をしていた」という話をしていて、これは本当にその通りなのだろうと思った。

自分を前面に出すことなく、それでいて自分のやりたいことをやってのける胆力。そのすさまじさは、声優・アイドルの会場ではついぞないであろう「ブラボー」の賛辞*4と、鳴りやまぬスタンディングオベーション、そして公演半ばでありながら泣き崩れそうになるメンバーの表情が何よりの証明だった。

 「今日はわたしがプリンセス……でしたか!」

わたしがWake Up,Girls!の魅力に取りつかれたのはほんの半年前のことで、はじまった時には既に終わりが見えていた。彼女たちの軌跡を全て追うことは決してかなわないという後悔がある。

それでも、こうして本当に素晴らしい場所にいることができた。アイドルとしての奥野香耶さんはこういう世界を描くのだと受け止めることができた。彼女が描くイーハトーヴが、会場に体現された瞬間に立ち会うことができて、こんなに嬉しいことはなかったのだ。

 

はしがき:オチをつけないと落ち着かないので言うと、山下七海さんは今回も動きの精度と引き換えにワンテンポ遅れる場面が散見されて本当によかった(ななみん推しです)。

*1:実家ではない

*2:今回盛岡に来るのに秋用のブルゾンで来てしまい、新幹線の車窓から仙台近辺が雪景色になっているのを見て死を半ば覚悟した

*3:エンターテイメントの観客の態度としては何ら間違ったものではないけれど

*4:おそらく二階席の中央付近で真っ先にブラボーと叫んだワグナーがいたんですよ

ゾンビランドサガのゆうぎり姐さんは本当に文久3年生まれなのか

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ゾンビランドサガ公式サイトのプロフィール

ゾンビィとして蘇った女の子7人が佐賀のご当地アイドルとして活躍するアニメ『ゾンビランドサガ』。ゾンビィ5号ことゆうぎりは、伝説の花魁として名を馳せたという、浮世離れした雰囲気の女性です。ガタリンピックでころころ表情変わってたのがかわいい。

姐さんとして慕われるゆうぎりですが、本人の語るところと公式サイトのプロフィールとで、さらにプロフィール内においても矛盾が見られます。

 そもそも文久3年は幕末末期である

幕末から明治にかけた激動の時代、維新の裏にこの人ありと言われた伝説の花魁。

ゆうぎりのプロフィールです。政治の裏に女あり、というのはよく言われることなのでこういった伝説的な女性がいたこと自体は荒唐無稽ではありません。

一方、1853年の黒船来航から始まる幕末の動乱は、1868年の明治改元で一旦の終息を迎えます。そして、文久3年は西暦1863年。プロフィールの生年を信じるなら、明治がはじまる年にゆうぎりは5歳です。どうやって維新の裏にこの人ありと言われることができるのか。

もっと言えば、3話でグループ名を考える際、ゆうぎりは「壬生浪士組」を提案したうえで、「島原にいたころのお得意さんでありんした」と振り返っています。

壬生浪士組とは、新選組のことです。そして芹沢鴨近藤勇新選組の初期メンバーが壬生に集まったのが、ゆうぎりが生まれたとされる文久3年です。近所の赤ん坊としてかわいがられる以外に、お得意さんになりようがありません。

ゆうぎりの生年と発言には、大きなズレがあることになります。

るろうに剣心と比較

幕末から維新の世を描いた『るろうに剣心』のキャラクターと比較すると、ゆうぎりの生年の無理が感覚的に分かります。

実は、るろうに剣心の主要登場人物の中に、ゆうぎりと同じ文久3年生まれの人物がいます。蒼紫様LOVE、巻町操ちゃんです。

るろうに剣心は劇中で大久保利通暗殺が起こっている通り、明治11年(1878年)が舞台です。巻町操は、16歳のおてんば娘。幕末の御庭番衆の活動を直接には知らない世代です。

その中で、巻町操と同い年の少女が、明治11年時点で「維新の裏にこの人あり」と呼ばれるほどになれるとは到底思えません。

少年剣士として幕末に活躍した緋村剣心にしても、嘉永2年(1849年)生まれとされています。方向性こそ違いますが、新選組と一個の人間として相対するには、おおむね1850年には生まれていないと間に合わない、と言えます。

ゆうぎりの「首の傷」と旧刑法

ゆうぎりの生年の矛盾については、大きく2つのケースが考えられます。1つは、ゆうぎりの生年が間違っている/詐称している場合、もう1つはゆうぎりの生年は正しく、「伝説の花魁だった」という設定が嘘である場合です。

前者に関しては、そもそも劇中でゆうぎりはあくまで「伝説の花魁」として幕末を振り返っており、具体的な生年に言及をしていないので、プロフィールを編集した側、物語中では恐らく巽幸太郎、あるいはメタ的にはスタッフの調査ミスということになります。

他方、ゆうぎりが「伝説の花魁」ではなかった場合を検討します。たとえば、ゆうぎりは遊郭にはいたけれど伝説の花魁「ゆうぎり」本人ではなく、たとえば見習いか何かであった。本物のゆうぎりとは懇意であり、彼女の思い出話を聞かされていたゆうぎりは、ゾンビとして蘇った際、自分をゆうぎりと勘違いして蘇らせた巽幸太郎のためにゆうぎりを演じている / 自分自身をゆうぎりだと思い込んでいる(FF7クラウドとザックスの関係) といった形で「ゆうぎり」となってしまった、というのは物語の謎としてはなくはないでしょう。

 ですがこの説は、ゆうぎりのゾンビィ形態における首の傷が否定します。フランシュシュのゾンビィ形態は画一的ではなく、リリィなら飛び出た心臓、純子ならつぎはぎの多さ、愛なら包帯で覆われる面積の多さが、それぞれの死因を示唆しています。

ゆうぎりの場合、他のメンバーと際立って違うのは首の縫合痕です。真横に傷が入っているということから、ゆうぎりは首を切断されたのが直接の死因と推定できます。

ですがこの死因は、没年からすると考えづらいのです。

ゆうぎりの命日は明治15年12月28日ですが、この年の1月1日には明治15年刑法、いわゆる旧刑法が施行されています。

その中の条文に、死因と没年の矛盾を指摘するものがあります。

第12条 死刑ハ絞首ス但規則ニ定ムル所ノ官吏臨檢シ獄内ニ於テ之ヲ行フ

上記は、死刑の方法を規定した条文です。ここで重要なのは、「死刑ハ絞首ス」の部分になります。すなわち、ゆうぎりの死没日に、日本では「斬首」は消滅しているのです。

もちろん、刃傷沙汰となって、首を斬られて殺されたというケースもあります。ですがそれにしても、明治15年に人間の首を横一文字に斬れる人間が、またそれが可能なシチュエーションがどれだけあったかと言えば、やはり可能性は低いと言わざるをえません。

 

これらを総合すると、文久3年に生まれ、明治15年に死んだというゆうぎりのプロフィールには偽りがあると見るのが妥当です。さらに死因から、文久3年よりも前に生まれて没年は正しい、すなわち鯖を読んでいるというのではなく、生年も没年も正しくないというパターンに該当しそうです。

もっと言えば、この偽称はゆうぎり本人にはできません。明治15年よりも前に亡くなったゆうぎりには、明治が何年続くか(続いたか)は未知の領域だからです。(当て推量はできるかもしれませんが)
そして、巽幸太郎によるプロフィール改ざんの動機が今のところない以上、生没年は伏線や演出ではなく、(スタッフの)ミスである可能性が高そうです。

ゾンビランドサガでは個々人の死因を順番に描いているため、ゆうぎりがいかにして亡くなったか、すなわち上記の矛盾で何が正しく何が嘘なのか、それはこれから語られるものと思われます。

 

余談

これを見る限り、「文久3年」言いたかっただけ*1説が極めて濃厚に思えます。

 

 

リズと青い鳥とピンクの腕時計と黄色いフグϵ( 'Θ' )϶と一面のクソ緑

当初作ろうと思っていたもの↓

 

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劇中屈指の名カット「フグ」です

 

映画『リズと青い鳥』は、作中に登場する架空の童話「リズと青い鳥」をもとにした劇中劇、そしてそこから着想を得て作られた楽曲「リズと青い鳥」、中でも特に第3楽章を媒介に、傘木希美と鎧塚みぞれ*1という2人の少女の過程を描いた作品です。
山田尚子監督や脚本の吉田玲子がパンフレットで「感じたことがそのままその人の「映画」になってほしい」(吉田)「自由にこの映画を楽しんでいただきたい」(山田)と書いている通り、作り手の主張や主観といったものを自制し、2人の世界をそっと覗き見るというアプローチで作られた作品なので、読み解きという行為は大きな意味を持たないと思っています。
それでも、比較的すっと理解しやすい鎧塚みぞれに対し傘木希美の内心はベールに包まれていて、そのことがこの映画を観た人に「残酷」という印象を与えてしまっているのかな、と他者の感想を読んでやきもきすることがありました。*2
なので私の感想文は、傘木希美とはどういう人物なのかをなんとなく主眼に置きつつ映画を追っていく形にしようと思います。*3

映画は、まず童話世界からはじまります。東欧*4の湖畔に暮らすリズが、動物たちにパンを与えている。分け隔てなく配っているけれど、動物の数には足りずに「ごめんなさい、もうないの」と謝罪する。その時、切り株の向こうに青い鳥がとまっているのを見つけるリズ。「綺麗……。まるで空を映した湖のよう」青い鳥はリズのもとへと飛んでくると彼女の掌にとまり、そしてすぐ空へ飛んでいく。

続いて、鎧塚みぞれと傘木希美が登場する現実世界が描かれます。最初、この感想文を書く時は映画の概観を網羅的に話そうと思っていたので、メモから冒頭のシーンを整理したテキストがあります。お蔵入りもつまらないので、引用します。


BGM:wind,glass,bluebird
みぞれ、校門から階段へ歩く
階段前で180度ターン、階段に腰掛ける
手を握る、足コツン、ため息とも深呼吸ともつかない
校門の柵を寄りで撮るカット
足音が聞こえる、キジバトの鳴き声、名前のない女生徒、みぞれ反応せず、女生徒階段を昇る
続く足跡、ピアノ、鳥のさえずり、梢のざわめき、茂みに咲く黄色い花 はっとなりみぞれ視線向ける
希美視点カメラ、みぞれまだ遠い(現実的にほぼ気づかない距離で足音で気づくみぞれ)
みぞれ立ち上がる
カットきりかわり、台詞挿入なく一緒に階段を昇る(希美右前、のぞみ左後ろ)
階段を昇った先で希美、青い羽根を拾う
希美、空に透かすように青い羽根をかざし、見上げる「綺麗…」(※冒頭のリズと対応)
みぞれ、その後ろ姿を見つめている
希美、みぞれに「あげるよ?」
みぞれ、青い羽根を凝視する
希美「あれ、いらない?」
みぞれ、青い羽根を受けとる「……ありがとう?」
希美、「なんで疑問形なの?どうしたしまして?」スカートを裾をつまむ
「いこっ」
下駄箱、上履きを取り出す2人、希美は適当に、みぞれはそっと
二人廊下を歩く、揃わない歩調
給水機で水を飲む希美、みぞれも後を追うように飲む
どこか無人の一室、窓が開いている、窓の外の木に2羽の鳥が連れ立って飛び込む
階段を昇る、希美が先、みぞれが後
階段、姿消える、と思ったら上から顔を出す、にっと笑う、みぞれ傘木を見上げる、足だけしか見えない
廊下、音楽室の鍵を持っているのは希美
希美の背中を見るみぞれ、カットきり代わり、中学時代、桜並木を同じように歩く2人
リュックを揺らす、ポニーテールを揺らす、時折みぞれを振り返る希美
音楽室の前にたどり着く
鍵を差し込む、じっと見るみぞれアップ、足を動かしたり体を傾けたりして待つ希美、希美の顔もアップ
扉があく、その前で一度くるりと翻って音楽室に進む希美
希美の背中を映しながらハレーション、白くフェードアウト
"disjoint"

サウンドトラックの1曲目「wind,glass,bluebird」が流れている間の概要です。既に多くの人が指摘されている通り、サントラの中に靴音や鳥の鳴き声といった環境音まで収録されているほど、劇伴とアニメーションが切り離せない構造になっています。原作/TVシリーズの「響け!ユーフォニアム」を知らない人でも、希美とみぞれの関係性、お互いのおおまかな性格、それが以前からずっと続いてきたことがスッと理解できる場面です。
ここでまず確認したいのが、冒頭で青い鳥を見つけたリズの「綺麗」という言葉と対応しているのが、青い羽根を拾い上げた希美の「綺麗」であるということです。映画を観ていくと分かりますが、希美とみぞれはお互いに「みぞれ=リズ・希美=青い鳥」と見立てて話が進んでいきます。この理解が後半ひっくり返るのですが、そもそも冒頭の段階で「答え」は明示されているわけです。
このことは逆転の伏線というだけでなく、希美が青い鳥≒音楽の才能/鎧塚みぞれに対してどういった感情が根底にあるかを示唆しているように思われます。これも後述しますが、希美はみぞれに無意識の嫉妬を抱いていることが(明言はされませんが)分かります。それも真実なのですが、リズは青い鳥の姿に見惚れたように、希美にはそれよりもっと根源的に、美しい音楽というものへの思いがある、言葉にすれば「憧憬」のまなざしがコアな部分にあると見ることができます。これは「嫉妬」「羨望」「諦観」といった負の感情に比べて異質で、言葉遊びのようですが見落とされがちであるように思われます。

また一方で、この一連の流れは希美がみぞれのことをなんとも思っていない、たいして好ましいとも思っていない、といった誤解を否定します。希美は寡黙なみぞれを気遣ってことさらに話しかけたりせず、2人で同じ場所に向かうのに自分のペースで進んでいきます。それでも、時折振り返ってはちゃんとみぞれが着いてきていることを確認する。この時点の希美も、それなりにみぞれとの距離感を確立しているわけです。そもそも、一方的にみぞれが希美を慕っているだけなら中学1年から高校3年まである意味で安定した関係性が持続はしないのです。
それがはっきりと分かるのが、青い羽根をみぞれに差し出し「あげるよ?」と言った希美が、みぞれの反応を見て「あれ、いらない?」と戸惑うシーンです。これも複数の見方をすることができる場面ですが、「綺麗な青い羽根のプレゼントをもらってみぞれは喜ぶだろう」という前提が希美の中にあると捉えることができます。みぞれの距離感が明白であるように、希美にも距離感が存在します。*5

 距離感と言えば、希美は踏み込まれそうになると一歩引きます。2人きりの音楽室で

 

実際に作成されたもの↓

近くて遠い、『リズと青い鳥』と山田尚子の距離 // 抱きしめることをやめた「愛」の物語について

*1:ここでどちらの名前を先に挙げるかで意識無意識に観客のポジションが分かる気がする

*2:否定するつもりはありません

*3:言いたいことは山ほどあるのですが全部に触れていくときりがないというのもあります

*4:個人の感想です

*5:青い羽根を“青い鳥”に渡すという多分に示唆的なシーンでもあります