熱函(NETSUBAKO)

Let her insult me. Let her spit on me. She has an immortal soul, and I must do all that is in my power to save it.

ゾンビランドサガのゆうぎり姐さんは本当に文久3年生まれなのか

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ゾンビランドサガ公式サイトのプロフィール

ゾンビィとして蘇った女の子7人が佐賀のご当地アイドルとして活躍するアニメ『ゾンビランドサガ』。ゾンビィ5号ことゆうぎりは、伝説の花魁として名を馳せたという、浮世離れした雰囲気の女性です。ガタリンピックでころころ表情変わってたのがかわいい。

姐さんとして慕われるゆうぎりですが、本人の語るところと公式サイトのプロフィールとで、さらにプロフィール内においても矛盾が見られます。

 そもそも文久3年は幕末末期である

幕末から明治にかけた激動の時代、維新の裏にこの人ありと言われた伝説の花魁。

ゆうぎりのプロフィールです。政治の裏に女あり、というのはよく言われることなのでこういった伝説的な女性がいたこと自体は荒唐無稽ではありません。

一方、1853年の黒船来航から始まる幕末の動乱は、1868年の明治改元で一旦の終息を迎えます。そして、文久3年は西暦1863年。プロフィールの生年を信じるなら、明治がはじまる年にゆうぎりは5歳です。どうやって維新の裏にこの人ありと言われることができるのか。

もっと言えば、3話でグループ名を考える際、ゆうぎりは「壬生浪士組」を提案したうえで、「島原にいたころのお得意さんでありんした」と振り返っています。

壬生浪士組とは、新選組のことです。そして芹沢鴨近藤勇新選組の初期メンバーが壬生に集まったのが、ゆうぎりが生まれたとされる文久3年です。近所の赤ん坊としてかわいがられる以外に、お得意さんになりようがありません。

ゆうぎりの生年と発言には、大きなズレがあることになります。

るろうに剣心と比較

幕末から維新の世を描いた『るろうに剣心』のキャラクターと比較すると、ゆうぎりの生年の無理が感覚的に分かります。

実は、るろうに剣心の主要登場人物の中に、ゆうぎりと同じ文久3年生まれの人物がいます。蒼紫様LOVE、巻町操ちゃんです。

るろうに剣心は劇中で大久保利通暗殺が起こっている通り、明治11年(1878年)が舞台です。巻町操は、16歳のおてんば娘。幕末の御庭番衆の活動を直接には知らない世代です。

その中で、巻町操と同い年の少女が、明治11年時点で「維新の裏にこの人あり」と呼ばれるほどになれるとは到底思えません。

少年剣士として幕末に活躍した緋村剣心にしても、嘉永2年(1849年)生まれとされています。方向性こそ違いますが、新選組と一個の人間として相対するには、おおむね1850年には生まれていないと間に合わない、と言えます。

ゆうぎりの「首の傷」と旧刑法

ゆうぎりの生年の矛盾については、大きく2つのケースが考えられます。1つは、ゆうぎりの生年が間違っている/詐称している場合、もう1つはゆうぎりの生年は正しく、「伝説の花魁だった」という設定が嘘である場合です。

前者に関しては、そもそも劇中でゆうぎりはあくまで「伝説の花魁」として幕末を振り返っており、具体的な生年に言及をしていないので、プロフィールを編集した側、物語中では恐らく巽幸太郎、あるいはメタ的にはスタッフの調査ミスということになります。

他方、ゆうぎりが「伝説の花魁」ではなかった場合を検討します。たとえば、ゆうぎりは遊郭にはいたけれど伝説の花魁「ゆうぎり」本人ではなく、たとえば見習いか何かであった。本物のゆうぎりとは懇意であり、彼女の思い出話を聞かされていたゆうぎりは、ゾンビとして蘇った際、自分をゆうぎりと勘違いして蘇らせた巽幸太郎のためにゆうぎりを演じている / 自分自身をゆうぎりだと思い込んでいる(FF7クラウドとザックスの関係) といった形で「ゆうぎり」となってしまった、というのは物語の謎としてはなくはないでしょう。

 ですがこの説は、ゆうぎりのゾンビィ形態における首の傷が否定します。フランシュシュのゾンビィ形態は画一的ではなく、リリィなら飛び出た心臓、純子ならつぎはぎの多さ、愛なら包帯で覆われる面積の多さが、それぞれの死因を示唆しています。

ゆうぎりの場合、他のメンバーと際立って違うのは首の縫合痕です。真横に傷が入っているということから、ゆうぎりは首を切断されたのが直接の死因と推定できます。

ですがこの死因は、没年からすると考えづらいのです。

ゆうぎりの命日は明治15年12月28日ですが、この年の1月1日には明治15年刑法、いわゆる旧刑法が施行されています。

その中の条文に、死因と没年の矛盾を指摘するものがあります。

第12条 死刑ハ絞首ス但規則ニ定ムル所ノ官吏臨檢シ獄内ニ於テ之ヲ行フ

上記は、死刑の方法を規定した条文です。ここで重要なのは、「死刑ハ絞首ス」の部分になります。すなわち、ゆうぎりの死没日に、日本では「斬首」は消滅しているのです。

もちろん、刃傷沙汰となって、首を斬られて殺されたというケースもあります。ですがそれにしても、明治15年に人間の首を横一文字に斬れる人間が、またそれが可能なシチュエーションがどれだけあったかと言えば、やはり可能性は低いと言わざるをえません。

 

これらを総合すると、文久3年に生まれ、明治15年に死んだというゆうぎりのプロフィールには偽りがあると見るのが妥当です。さらに死因から、文久3年よりも前に生まれて没年は正しい、すなわち鯖を読んでいるというのではなく、生年も没年も正しくないというパターンに該当しそうです。

もっと言えば、この偽称はゆうぎり本人にはできません。明治15年よりも前に亡くなったゆうぎりには、明治が何年続くか(続いたか)は未知の領域だからです。(当て推量はできるかもしれませんが)
そして、巽幸太郎によるプロフィール改ざんの動機が今のところない以上、生没年は伏線や演出ではなく、(スタッフの)ミスである可能性が高そうです。

ゾンビランドサガでは個々人の死因を順番に描いているため、ゆうぎりがいかにして亡くなったか、すなわち上記の矛盾で何が正しく何が嘘なのか、それはこれから語られるものと思われます。

 

余談

これを見る限り、「文久3年」言いたかっただけ*1説が極めて濃厚に思えます。